サイキックセンスは特別な能力ではない
「私には特別な能力なんてない」
そう思ったことはありませんか?
けれど一方で、なぜか嫌な予感が当たったり、初対面なのに相手の雰囲気を感じ取れたり、理由は説明できないのに「こっちだ」と思った選択がうまくいったり。
そんな経験をしたことがある方も多いはずです。
では、あれはいったい何なのでしょうか。
単なる偶然なのでしょうか。
それとも、私たちがまだ十分に理解していない感覚なのでしょうか。
今回は、そんな誰もが一度は抱く疑問から、サイキックセンスについてお話ししていきたいと思います。
サイキックセンスという言葉を聞くと、特別な人だけが持つ能力。霊感が強い人だけの力。
そんなイメージを持たれる方も多いかもしれません。
けれど私は、サイキックセンスとは、誰もが持っている「感じる力」だと思っています。
なぜなら、能力がない人を今まで見たことがないからです。
能力に「ある・ない」はない
多くの方は、能力がある人とない人がいる。そう考えています。
けれど実際は、少し違います。
たとえば、能力を測るものさしがあるとします。
その目盛りが1から10まであるとしたら、実は0という目盛りは存在しません。
1の人もいれば、5の人もいる。10の人もいる。
違いは、能力があるかないかではなく、どれくらい使えているか。
ただそれだけなのです。
私たちは日常の中ですでに感じ取っている
では、サイキックセンスとは何なのでしょうか。
それは、未来が見えることでも、特別な存在と話せることでもありません。
もっと身近なものです。
例えば、なんとなく気になる。
なぜかわからないけれど、今日はこっちだと思う。
会う前から、相手の機嫌がわかる。
電話が鳴る前に、誰からかわかる。
初めて来た場所なのに、なぜか懐かしく感じる。
反対に、特に理由はないのに、居心地の悪さを感じることもあります。
そんな経験はありませんか?
実は、私たちは日常の中で、すでにたくさんの情報を受け取っています。
目で見えるもの。耳で聞こえるもの。
それだけではありません。
言葉にならない空気。場の雰囲気。人が発するエネルギー。自分の内側から湧き上がる感覚。
そうしたものを、無意識のうちに感じ取っているのです。
松果体と第三の目
また、古代から伝わる考え方の中には、脳の中心にある松果体が特別な感覚と関係しているという話があります。
松果体は眼球とよく似た構造を持ち、かつては「第三の目」とも呼ばれていました。
そして太古の人々は、今よりもその感覚を自然に活用しており、松果体も現在より大きく、ピンポン玉ほどあったものが、現代では小豆ほどに退化したともいわれています。
真偽についてはさまざまな見解がありますが、少なくとも昔の人々は、今よりも感覚や直感を大切にしていたのかもしれません。
つまり、サイキックセンスは特別な能力ではなく、本来誰もが持っている感覚の一部なのです。
なぜ能力がないと思ってしまうのか
ではなぜ、多くの人が「私には能力がない」と思ってしまうのでしょうか。
それは、能力がないからではありません。
感覚よりも、頭で考えることを優先するようになったからです。
「気のせいだろう」
「考えすぎだろう」
「証拠がない」
そんなふうに、せっかく受け取った感覚を打ち消してしまうことが増えていきます。
すると、感覚は少しずつ後回しになり、やがて使わなくなっていきます。
能力がなくなったのではなく、眠ってしまっただけなのです。
サイキックセンスとは思い出すこと
サイキックセンスとは、新しい能力を手に入れることではありません。
本来持っている感覚を思い出していくことです。
そして、その感覚を信頼できるようになることです。
あなたの中にも感覚はある
もし今、「私には能力なんてない」そう思っているとしたら、一度だけ考えてみてください。
これまでの人生の中で、「なんとなくそう思った」そんな経験は本当に一度もなかったでしょうか。
もしあるのなら、それはすでに、あなたのサイキックセンスが働いていたのかもしれません。
サイキックセンスとは、特別な人だけのものではなく、誰もが持っている「感じる力」。
まずは、あなた自身の感覚を否定しないこと。
そこから、本来の感覚は少しずつ姿を現していきます。
次回は、「感覚は眠っている」というテーマで、なぜ私たちの感覚が眠ってしまうのかをお話ししたいと思います。
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